この記事は、2024年7月12日(金) 20:57〜22:00に放送された『中居正広の金スマ[字]』の「今をときめくアーティスト!実は苦労人だったSP」の番組内で【SUPER BEAVER】(スーパービーバー)が壮絶な過去について語りました。
興味深かったため、筆者はSUPER BEAVERの苦労の歴史やヒット曲、メンバーについて調査をおこない、記事にさせていただきました。ぜひ、ご覧ください。
SUPER BEAVERの苦労の経歴
デビューしてからのアルバイト
SUPER BEAVERは2005年に結成され、2009年にシングル「深呼吸」でメジャーデビューを果たしました。しかし、セールスの低迷やレーベルとの方向性の違いから、わずか2年でメジャーレーベルを離れることになりました。この間、彼らは経済的な困難と将来への不安に直面しました。
メジャーを離れた後、彼らは資金を集めるためにアルバイトを始めました。ボーカルの渋谷龍太さんは居酒屋のホールを5年間務め、ギターの柳沢亮太さんはハンバーガー屋で、ベースの上杉研太さんはラーメン屋とカフェで、ドラムの藤原“30才”広明さんはピザ屋のデリバリーで働いていました。
お互いの店に立ち寄ることもあったそうです。渋谷さんは「僕たちは恵まれた環境にいたが、何も知らなかった22~23歳で放り出されて、活動していくためにはお金が必要だった」と語っています。
自主レーベルからのCDリリース
メジャーを離れて1年後、SUPER BEAVERは自主レーベル「I×L×P× RECORDS」を設立し、自分たちの音楽を追求し続けました。CDを作る際に、「キャラメル包装」や帯をつけるのに別途料金がかかることに驚いたそうです。
これらの経験は彼らにとって大きな学びとなりました。
4人だけで車移動&宿探し
メジャー時には会社が担当していた車移動や宿探しも、独立後は自分たちで手配する必要がありました。4人は借金をして中古のワゴン車を購入し、運転を交代しながら全国のライブ会場へ向かいました。東京~鹿児島間は「早くて15時間」かかったと言います。
これらの苦労からSUPER BEAVERが学んだのは「人とのつながり」です。渋谷さんは「4人だけではどうにもならなかった。人の力を借りて今の自分たちがいる。地に足をつけるきっかけになった」と語っています。この経験は彼らの作品作りにも大きな影響を与えました。
SUPER BEAVERのメンバー
- 渋谷龍太 (Shibuya Ryota) – ボーカル
- 力強い歌声と感情豊かなパフォーマンスで観客を魅了。
- 上杉研太 (Uesugi Kenta) – ベース
- リズムセクションの要としてバンドのサウンドを支える。
- 柳沢亮太 (Yanagisawa Ryota) – ギター
- 楽曲の作詞・作曲を手掛ける多才なメンバー。
- 藤原”36才”広明 (Fujiwara Hiroaki) – ドラム
- パワフルなドラミングでバンドを引き立てる。
SUPER BEAVERのヒット曲
- 「深呼吸」 – メジャーデビューシングル。
- 「青い春」 – アニメ『NARUTO -ナルト- 疾風伝』のエンディングテーマ。
- 「予感」 – ドラマ『僕らは奇跡でできている』の主題歌。
- 「ひとりで生きていたならば」 – 映画『水上のフライト』の主題歌。
- 「突破口」 – アニメ『ハイキュー!! TO THE TOP』第2クール オープニングテーマ。
- 「愛しい人」 – ドラマ『あのときキスしておけば』の主題歌。
- 「名前を呼ぶよ」 – 映画『東京リベンジャーズ』の主題歌。
- 「人として」 – アサヒスーパードライのWEB CMソング。
まとめ
この記事では、SUPER BEAVERの経歴と苦労、メンバー、そしてヒット曲について紹介しました。
彼らの音楽に込められた熱意と努力が、多くのファンに感動を与え続けています。興味を持った方は、ぜひ彼らの音楽をチェックしてみてください。